ペットの死

近年、家庭内において、ペットは人間と対等の扱いを受けるまでになっており、ペットの飼育環境は格段に向上していると言えます。しかしペットが人間の生活空間で共生していくには、まだまだ多くの危険な状態と遭遇することが避けられません。

人間のために快適に作られた環境が、必ずしもペットにとっての理想の生活空間とは言えず、人間のために開発された生活器具が、ペットの安全性にまで配慮されているとは言い難いのです。


ペットの事故死


動物医療の進歩によってペットが病死する割合は減少傾向にありますが、ペットの事故死は増加する傾向にあります。中でもペットの交通事故死は病死に次いで多いのです。

飼い主が玄関のドアを開けた時、不用意に犬が戸外に飛び出し、交通事故に遭うケースや、散歩中にリードが外れ、車道に飛び出して車と衝突するケース、車での移動中に窓から飛び降りて交通事故に遭うケースなどが目立っています。

飼育者の目の届かないところでペットが有害物を食べて中毒死するケースも後を断たちません。毒物ではなくても、気管や消化管を閉塞する異物を誤飲して死亡する事故もあります。

また、高層住宅のべランダや窓からペットが転落する事故も増加しています。散歩中に他の犬に襲われて死亡したり、ペットホテルに預けている間に原因不詳のまま急死するケースなど、ペットの事故死の原因は多様です。

飼い主の自責の念


ペットの事故死は、飼育者の不注意が原因で発生する事が多いため、事故死をさせた飼育者は「自分の不注意で死なせた」と自責の念に苦しみ、深い罪悪感を抱くことがあります。

玄関のドアを開ける行為が、そのままペットの事故死に結びつくことが、飼育者の「不注意」であるとは必ずしも言えませんが、「自分がドアを開けさえしなければ事故は起こらなかった」との思いに陥っていくのが、ペットを事故で亡くした飼育者の悲嘆の自然な反応なのでしょう。

ペットの死亡に結びつくような事故は、幾つかの偶然が重なって起きるのですが、「自分の不注意でペットが死んだ」「自分が殺した」という罪悪感に強く執着する飼育者の場合には、悲嘆の回復までに長い時間を要することになります。

この段階での隣人による慰めの言葉や、理論立てた説得は、飼育者に受け入れられないことが多いでしょう。時間の経過に従って徐々に飼育者が事実を見つめるようになり、「偶発的な事故の責任が全て飼育者にあるのではない」という認識に到達するまで待つしかないのかもしれません。

安楽死


安楽死とは、一般には「安楽死を選ばざるを得ない」状態に陥った時に、獣医師が飼育者に状況を説明し、飼育者の判断によって実行されるものです。

◆ペットが不治の病で治療を続けても死に至るのが確実となった時。
◆激しい苦痛を伴う長期治療を必要とする病気に冒された時。
◆重症で再発を繰り返す病気に冒された時。
◆交通事故などで回復の見込みのないけがや重度の火傷を負った時。

このような局面で、しばしば安楽死をさせる方法が選択されます。

飼育者は安楽死の是非を決断するまでに「考慮」する時間が与えられますが、その決定権が飼育者に委ねられていることから、命を絶つこと決めた場合には、精神的な負担が重くのしかかることになります。飼育者が「自分がペットの死を選んだ」と強い罪悪感を抱くのは当然の結果でしょう。

しかし、安楽死の決断をするまでに飼育者は迷い、そして悩んだはずです。ペットを思い、迷い、悩んだ末に出した結論に罪悪感を抱くべきではないのです。とはいえ、それは容易なことではないでしょう。飼育者が冷静に安楽死によるペットの死を受け入れるまでには時間が必要なのです。

安楽死を選んだことが正しかったのか、間違っていたのかという問題に正解はありません。この問題にとらわれ始めると、多くの飼育者が「その判断は間違いだった」と思い込みやすくなります。

動物の命を奪う行為は、人としてのモラルに反するという観念から、安楽死がペットにとって最善の結論であったとしても、 「殺す」決断をした事実が飼育者を苦しめることになるのです。

しかし、「安楽死の決断は愛情がなければできないこと」「ペットを愛しているからこそ、病気で苦しむ姿を見ていられないこと」「飼育者自身が悩み苦しんだ後に出した結論であること」などをよりどころとして、罪悪感を捨てるよう飼育者を導くことが必要になります。


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