地域と犬

歴史上、犬は様々な地域で社会と関わり、様々な役割を果たしてきました。


古代エジプトと犬


古代エジプトでは王墓や遺跡の壁画に多くの犬の姿が描かれており、 犬と古代エジプト文化の関わりを知る手がかりになっています。

古代エジプト人は死の神 「アヌビス」 を犬 (又はジャッカル) の頭部を持つ半獣として表現しており、 多くの壁画や彫像にグレー・ハウンド系と見られる犬の姿で残されています。

これは古代エジプト人が、墓地周辺を徘徊する犬が死者を守ってくれていると考えたことに由来すると考えられています。古代エジプトでは、多くの犬がアヌビスの化身として飼育され、死後ミイラとして埋葬されました。

死の神「アヌビス」は、古い時期から崇拝されていた「死者を守る神」で、死者のミイラ作りの監督官とされ、天秤を用いて死者の罪を量る役目も担っていました。

近年の発掘調査によってサッカラ砂漠の地下遺跡で膨大な数の犬のミイラが詰まった地下トンネルが発見されています。ミイラの多くは生後間もないものが多く、神への捧げ物として葬られたと考えられています。

近年、アメリカにおける遺伝子科学調査の結果、古代エジプトがルーツと伝承されてきたファラオ・ハウンドは、実は数百年の歴史しかない新しい犬種であることが明らかにされました。

この調査でファラオ・ハウンドがエジプト王の墓に描かれた犬と無関係であることが判明し、ファラオ・ハウンドに歴史的ロマンを感じていた人々を大いに失望させることになりました。

中国と犬


中国では古くから食犬の習慣があり、新石器時代の遺跡からも犬の骨が大量に出土しています。

「狡兎死して走狗煮られる」とは、猟犬として不用になった犬は煮て食べられるという意味で、 現在でも中国南部を中心に食犬の習慣が見られます。

一般に狩猟や牧畜を生業とする北方系民族は、犬を狩猟犬や番犬として高度に活用しており、犬肉を食べる習慣はありません。ヨーロッパの民族が食犬に対し強い嫌悪感を示すのは、北方民族と源が同じであると考えられるからです。

もっとも、近年では中国でも犬肉を食べることへの批判が強まり、各地の伝統の 「犬肉祭り」 が中止に追い込まれるケースが多くなっています。

また、中国では犬を安産の守り神とする風習があり、チベットでは宗教行事に深くかかわっていました。

南米と犬


南米はヘアレス犬の原産地と考えられていますが、これらの犬の多くは小型で、宗教的行事や食料としても利用されていました。

イギリスと犬


イギリスでは、マスティフ、ブルドッグ、グレー・ハウンドやテリア種の他、スパニエル種やセッター種も高い人気がありました。とりわけ、イギリスでは兎狩りがスポーツとして上流社会に定着していたため、ハウンド犬種の飼育に力が注がれました。

14世紀に入ると豪華な愛玩用犬も登場し、飼い主の虚栄心を満足させる目的でも犬は飼育されました。

産業革命は、多くの使役犬から仕事を奪いました。山間、農村部で飼育されていた使役犬が、都市部で愛玩目的で飼育され始めたのも産業革命以降のことです。貴婦人達にとって、犬は「愛玩」の対象として珍重され、社会の一員としても認められるほどでした。

イギリス王室は絶滅の危機にあった海外の多くの犬種を積極的に保護しました。1859年には、イギリスで第1回のドッグショーが開催されています。

イタリアと犬


ローマでは犬を家屋の中で飼育していた記録が残っており、ローマ時代、犬は番犬としてその価値を認められていました。また、戦場に於ける通信連絡用に犬が利用された記録も残っています。

また、この時代は犬を使った狩猟がスポーツとして楽しまれる時代の始まりでもありました。ルネッサンス期に於いては犬に注目する大きな理由は狩猟でしたが、このおかげで犬の地位は高くなり、聖人と並んだ肖像画が多く残されています。貴婦人達が直接世話をする対象となるほどに、犬は高い地位を得ていました。

フランスと犬


フランスでは17世紀の後期になると、犬は 「狩り」 だけのものではなくなって来ました。貴婦人達は犬の毛をカールしたり、剃ったりして楽しみ、国王は犬に囲まれて王室の諸行事に列席するほどでした。

18世紀に入るとイタリアから輸入された短毛犬が人気を集めました。さらに 「狩り」 は形式を重んじるスポーツとなり、鳥猟に適したセッターやポインターが人気を得ました。撃った獲物を回収するように仕込まれたリトリバー犬も注目されました。

この頃から、犬は「好ましい姿」であることが重要とされていき、パリには初の犬の美容学校ができました。

犬を保護する規則が最初に作られたのは1730年フランスで、犬を殺すことに対する罰金制度が制定されています。

日本と犬


日本の文献の中に最初に犬が現れるのは日本書記で、垂仁天皇の時代に飼われていた「アユキ」と言う犬がムジナを食い殺したら腹の中から曲玉が出たとあり、また、355年仁徳天皇の時代、狩猟用の鷹を助ける「鷹犬」が飼育されていたとの記述もあります。

358年には百済から洋犬種が伝来、732年に新羅から「チン」が来日しました。

奈良時代前期の屋敷あとから発掘された素焼きの土器には、マスティフ系と思われる垂れ耳の犬の顔部分が墨で描かれており、舶来犬種であったと考えられます。以後、日本在来種と輸入洋犬との混血が進んでいきます。

1695年徳川綱吉は犬を保護するために江戸郊外(現在の東京都中野区)に広大な犬舎を設けています。

明治から昭和にかけては、山間部にわずかに残った日本の古来種 (日本犬) の保存をしようとする運動が起こり、昭和3年に「日本犬保存会」が設立されました。


一般社団法人国際家庭犬トレーニング協会
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