人類が初めて犬を飼育したのは、今から1万2,000年以上前の事と考えられています。
古代人と犬の関わりについては、遺跡から発掘された犬の遺骨や埋葬の状態、古代人が残した洞窟画や岩面画、古代墳墓の壁画に描かれた犬の絵などから推測し、生存年代や犬の祖先種についてもある程度推定することができます。アラスカのオールドクロウ川から発見された犬の化石骨は最も古いものでした。
9,000年前のヨーロッパを中心とする人間の居住跡や貝塚遺跡からは、明らかに飼育されていたと考えられる犬の骨が出土しています。さらには、7,000年前頃の北米の遺跡から、人類によって埋葬されたと考えられる犬の骨が発掘されています。
犬の移動と馴化はアジアからヨーロッパ、アフリカ、アメリカへと進み、人類と犬は共通の歴史を歩むことになります。新石器時代の遺跡に残された洞窟画や墳墓の壁画では、人と共に狩りをする犬の姿が一般的で、早い時期から犬が人類の生活に貢献していたことを伺い知ることができます。
犬の定住生活と犬(番犬の誕生)
犬の祖先は、人間が住んでいる洞窟の近くに行けば、食べ残しの肉片や骨などが拾えることを覚え、さらに犬を襲う外敵から身を守るうえでも、人間の傍にいる方が安全なことを経験的に知り、やがて人間の居住地付近に住むようになったと考えられます。
犬はグループを作り、縄張り意識も強いため、怪しいものが近づくと騒ぎ立てます。これは当時の人間にとっても大変便利な習性で、犬が傍にいるおかげで、当時の人間の脅威であった猛獣から身を守り、安心して休むことができました。
このようにして犬は番犬として人間と共同生活をするようになり、野生犬から半野生犬へ、さらに家イヌと変化していきます。
野生犬から家イヌへの変化の過程では、犬が自ら餌を獲らなくなり、雑食性になったり、居住を探さなくなったりという、本能の変化が見られます。
さらに外敵から身を守る必要がなくなり、人に対する嫌悪感が親和感に変わったというような性格の変化が著しいことも注目されます。
狩猟と犬(猟犬の誕生)
古代人に半野生状態で飼育されていた犬は、行動の全てを人間に拘束されていたとは考えられず、獲物を追う習性を失ってはいませんでした。
狩猟が生活の必要手段であった古代人類にとって、元来グループハンターであり、優れた嗅覚、聴覚、そして持久力を持つ犬を、狩りの仲間として迎え入れた事は、当然の成り行きといえます。
狩りをする時、人間は犬を連れて行き、獲物を追い出す協力をさせました。そして猟の効率が良くなり食料が豊かになると、人間もまた犬に余剰食物の一部を与え、双方にとって好ましい関係が生じていきます。
犬の猟欲はその後、長期間にわたり人間の食料獲得のために利用されるようになり、猟に向く特性を持つ個体が選別される時代が長く続きました。
縄文人と犬
わが国においては、縄文時代初期より、人はすでに弓矢を用いて猟、漁、採集の生活を営んでおり、犬の特性を人の生活のために役立てていたと考えられます。
この頃の犬の大きさや顔つきがどのようであったかについては、当時の遺跡から出土する犬の遺骸から推測することができます。
それによると、大きさは現在の日本犬の小、中型犬で、吻が長く、顔の幅は狭く細長いものでした。そして額から鼻先にかけての先がなめらかで、いわゆるストップが明確ではありませんでした。頬骨はがっしりとし、下顎骨は厚く、四肢骨も太く頑強で、オオカミのような鋭い風貌をしていたと考えられます。また、埴輪や土偶、青銅器時代の銅鐸によると、これらの犬は立耳で巻尾です。
また、発掘された犬の遺骸は、人間によって丁寧に埋葬された跡がみられ、犬が猟犬や番犬としてのみ用いられたのではなく、人間との深い信頼関係が生じ、今で言う「ペット」としての役割を果たしていたと考えられます。
人類の発展と品種改良
人間は犬を馴化することにより、人類に欠けている感覚の鋭さや行動の敏捷さを補い、また人類以外の動物をよりよく知る手がかりを得ました。多くの野生動物の中から、人類にとって有益で有能な犬を慣化したことにより、人類は農耕と畜産を発展させ、やがて生産が高まり、集団は拡大され、都市国家へと発展してきました。
また人間は、文明の発達に伴う生活作業の変化に応じ、それぞれに目的に適した品種の犬を求めるようになり、地域や用途に適した多くの品種が、半ば自然的に、半ば人為的に生み出されていきました。近年では実用面よりむしろ愛玩対象動物としての品種改良が盛んに行われています。
一般社団法人国際家庭犬トレーニング協会
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